中世後期
 
 盆地との関係と成立
 
 カトマンズ王国の始祖ラトナ・マッラ王の治世にクク族を名乗るチベット人が多数侵入して多大な苦痛を与えたが、王はこれを鎮圧できずにパルパを首都とするムクンダ・セーナ王に支援を求めるとセーナ王に派遣されたカサ族の軍隊がこれを殲滅した。このあとカトマンズ滞在を望んだカサ族に対して王は土地を与えて滞在を許した。以後、カサ族はカトマンズの軍事面で重要な役割を担った。ラトナ王は何らかの形でセーナ王と交流があったと思われる。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)
 
 ラトナ王と友好的であったムクンダ王は次王スーリヤ・マッラ王の治世にカトマンズ盆地を侵略した。1524年と1525年にタンコート、キルティプルに侵攻し、1526年にはキルティプルの制圧、パタンの包囲、スワヤンブー、タメル、ナクサール、ダルマスタリーでの放火と、盆地内を蹂躙した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)
  
 ムクンダ・セーナ王は全領土を四分割して4人の王子に与えた。マクワンプル以東をローハンガに与えた。ムクンダ・セーナ王以降、三都が主に関わったのはマクワンプル・セーナ王国でローハンガ王のあとラーガヴァ・セーナ王、ハリハラ(インドラ)セーナ王と継承される。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)
 
 
 内紛
 
 マクワンプル王ハリハラ(インドラ)は「ヒンドゥーの主」を名乗り、ヴィジャイプル(モラン)まで支配していた。しかし王子シュバ・セーナが父王に対して反乱を起こし、1671年に王子が盆地に来訪して支援を要請したので、バクタプル王ジャガットプラカーシャ、パタン王シュリーニヴァーサ、ゴルカ王ルドラが援軍を派遣した。カトマンズ王プラターパはハリハラ王と書を交わして友好関係にあったが、のちにシュバ王子支援に回った。しかし三都間で孤立していたため援軍には参加できなかった。
  1674年にシュバ・セーナから再度援軍要請があり、パタンのバギーラタ・バイヤー宰相を指揮官として、パタン、カトマンズ、バクタプル、タナフンの連合軍がハリハラ王の所領モランの17村落を占拠してシュバ・セーナ王に与えた。この内紛の結果、サガルマタ県とコシ県の県境を流れるコシ河以西のマクワンプルはシュバ王が、コシ河以東のビジャイプルはシュバ王の兄の子ヴィダーターインドラ・セーナ王が統治することになった
 。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)
  
 
 滅亡
 
 マクワンプル・セーナ王国は1762年にヘーマカルナ王の子ディグバンダナ王を最後にゴルカ王プリトビナラヤンに制圧され滅ぼされた。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)
 

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