この事件はビクラム暦1942年(西暦1885〜6年)に起きたので「四二年事件」と呼ばれる。

1885年にアフガニスタン越しにインドを伺うロシアを牽制する意味で、イギリスがラーワルピンディー(現パキスタン・イスラム共和国北西部)で大々的に軍事演習を行うことになり、ネパールも招待された。ラノッディープ首相・大王はビール・シャムシェルに四連隊を与えて参加させることにした。強力な軍隊を手に手中にしたビールはインドに出発する前夜に首相・大王を襲うべく、弟たちと共にナラヤンヒティ王宮に向かい、イギリス公使から緊急の書簡が届いたので持参したと伝えて居室の扉を開けさせた。首相・大王は腹這いに横たわって、足に香油を塗らせながらラーマの名号を書写していた。入室すると同時にまず次弟カドガが首相・大王に銃弾を撃ち込み、続いて六弟のビームも銃撃して首相・大王を即死させると、国王と王母をバーグ王宮に迎えて保護し、従来の継承順位では第16順位にすぎなかったビールを首相・大王に任じる勅令を出させた。

そのあとシャムシェルたちはビールの制止を振り切って、ジャンガ一族を見つけ次第銃殺するように命令を軍隊に与えてマノハラ王宮とタパタリ王宮に向かわせ、マノハラ王宮でジャガット・ジャンガを、タパタリ王宮を襲って彼の長子ジュッダプラタープ・ジャンガを殺害した。ジャンガ一族のジャガットの次弟ジート、三弟パドマ、五弟ラナ・ビール、バドリ・ナラシンハの長子ケーダル、二子ドワジ等はイギリス公使館に保護を求めた。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2015-04-22 (水) 00:28:05 (2142d)