この事件はビクラム暦1938年(西暦1881〜2年)に起きたので三八年事件と呼ばれる。

1881年にスレンドラ国王が死去して、トライローキャの長子プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ(在位1881年〜1911年)がわずか5歳で即位し、ディールの権力はさらに強まった。トライローキャ亡きあと弟ナレンドラ王子派が王権奪還を目指して首相・大王とディールの殺害を企て、首相・大王がインド聖地に出かける機会に殺害する計画を立てたが、何らかの理由で実現せず、1881年11月にはダイナマイトで二人を殺害する機会を得たが、有力な味方も死に捲き込むことになるため実行されなかった。

 その翌月、首相・大王がタライ地方に狩猟に出かけることになり、慣例としてその前にパシュパティ、グヒェシュワリー両寺院に参詣することになっていた。またディールが外出する日程をつかんだナレンドラ王子派は、この機会に二人を殺害する計画を立てたが、ディールが落馬の怪我で日程が中止になったため、計画も中止された。さらにナレンドラ王子派は、1882年1月にディールの配下でガガンシンハの孫ウッタルドワジ・ラージバンダリーを捲き込んで二人の殺害計画を立てた。この計画に参画したジャガット・ジャンガは当日、盆地にとどまっているのは不都合と判断してインドへ脱出した。しかしウッタルドワジが、ディールの兄バドリ・ナラシンハの夫人となった妹の助言でこの計画をディールに知らせたため、ディールはナレンドラ王子ら陰謀者を逮捕してナラヤンヒティに投獄した。ナレンドラ王子とバムの長子バム・ビクラム・バハドゥルはインドのチュナール塞に投獄され、ナレンドラ王子の財産180万ルピーは没収された。タパ、バンデ、バスネットたちの23名が死刑、6名が終身刑、5名が6年の禁固刑、3名が国外追放に処せられ、帰国を禁止された。ジャンガの第三子パドマ・ジャンガも継承順位からはずされてヌワコートに追放されたが、のちにプリトビ国王の母である彼の姉の尽力によって継承順位に復帰した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2015-04-22 (水) 00:24:25 (2142d)