1846年、ジャンガ・バハドゥルはいわゆる宮廷大虐殺事件を敢行し、国政のすべてを一手に握って首相となった。さらにラナ姓を名乗ると共に国王に準ずる大王を号した。1868年には国王からジャンガ・バハドゥルに、大王と首相の継承についての起請文書が出され、大王と首相はラナ一族によって継承されることとし、継承順位も明確に指定されていた。この取り決めによってラナ一族による、いわゆるラナ専制政治体制が確立し、以降、10代、104年間にわたって継承される。

 第二次世界大戦後、アジア諸国の独立が相次ぎ、1947年のインド独立の成功に鼓舞されてカルカッタでネパール民主主義会議が結成された。これにネパール国民会議が大同団結して1950年にはマートリカ・プラサード・コイララを議長とするネパール会議が結成され、武闘によるラナ打倒の方針を定めた。1950年11月、軟禁されていたトリブバン国王が一族と共にニューデリーに脱出したのに呼応して、インド各地のネパール人反ラナ勢力は続々とネパールに向かい、国内の反ラナ勢力も決起した。こうした情勢を背景に、1951年2月にインドのネルー首相の斡旋で国王、会議派、ラナ家の三者会議が行われ、国王を元首とする臨時政府樹立の合意が成立した。国王は直ちにカトマンズに帰還し、モハン・シャムシェルを最後にラナ専制政治は終結した。(出典:もっと知りたいネパール、石井溥編、1986年刊)


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Last-modified: 2007-01-31 (水) 06:41:54 (5187d)