vijayapura sena rajya

成立

1674年マクワンプルのハリハラ・セーナ王とシュバ・セーナ王子の内紛の結果、サガルマタ県とコシ県の県境を流れるコシ河以西のマクワンプルはシュバ王が、コシ河以東のビジャイプルはシュバ王の兄の子ヴィダーターインドラ・セーナ王が統治することになった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

その後の歴史

ビジャイプル・セーナ王国はヴィダーターインドラ王のあと、マクワンプル・セーナ王国とともに、一時デリーの太守イスカンダル・カーンの支配下に入ったが、シュバ・セーナ王の王子マーニキャ、マヒーパティ兄弟がキラータ族の助けを借りて奪還し、マクワンプルは再びマーニキャ王が、ビジャイプルはマヒーパティ王が統治した。

ハヒーパティ王の子(あるいは孫)カーマダッタ王がキラータ族の強力な大臣ヴィチトラ・ライと対立して一時追われ、結局ライの調停によってジャナクプル県とサガルマタ権の県境を流れるカマラ河の東側からコシ河の西側までのウダイプル郡、シラハ郡、サプタリ郡等の領域を、マーニキャ王のあとマクワンプル王となった長子ヘーマカルナの弟(あるいは甥)ジャガット・セーナ王がチャウダンディーを首都にして統治し、カーマダッタ王の統治はモランに限定された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

滅亡

プリトビナラヤン・シャハ王は東方に進出し、1773年カルナ・セーナ王が統治するチャウダンディー・セーナ王国を制圧した。カルナ王はビジャイプルに逃亡しビジャイプル・セーナ王となったが、1774年ネパール軍に制圧され、ビジャイプル・セーナ王国はカルナ王を最後に滅亡した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2015-04-22 (水) 12:59:54 (2142d)