devaladevi (人名)

中世前期、ティルフット王国最後の王、ハラシンハ・デーヴァ王の王妃。1299年生〜1366年没。

ハラシンハ王没時(ティルフット王国滅亡時)、デーヴァラデーヴィーはネパール軍に捕らえられたが、庇護を願い出て実権者ルドラ・マッラに手厚く保護された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

ルドラ・マッラの一人娘ナーヤカデーヴィーは、ルドラ・マッラの母パドゥマラデーヴィと、デーヴァラデーヴィーの二人によって養育された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

デーヴァラデーヴィーナーヤカデーヴィーの夫ハリチャンドラの死後、ナーヤカデーヴィーを我が子ジャガットシンハの内妃にすることで、由緒あるティルフット王統とマッラ王家の象徴を結びつけて、王家としての権威を高めると同時に自らの立場を強化し、パドゥマラデーヴィー亡きあとの王宮の権力者となった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

デーヴァラデーヴィーは1336年にネワール名門の三人の実力者アネーカ・ラーマアバヤ・ラーマ、タイタを招集して王家への忠誠を誓わせ、実権を一手に握った。後の彼女は「王の中の王にして最高の主、最高の王位にある者という王称を得たデーヴァラデーヴィー」とまで称えられ女帝として君臨するに至った。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1338年、デーヴァラデーヴィーマハータアネーカ・ラーマと謀り、アバヤ・ラーマとタイタ父子を褒賞を与えるという口実で呼び出して殺害した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1344年大地震が発生し、その翌日アリ・マッラ二世がデウパタンで死去した。その後、混乱と反乱が続く2年10カ月間の空白の後、デーヴァラデーヴィーの収拾によって王位交代制の協約に従って、ラージャ・デーヴァ王が即位した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1344年ナーヤカデーヴィーはジャガットシンハとの間の娘ラージャッラデーヴィーを出産しその10日後に死去した。ラージャッラデーヴィールドラ・マッラの血脈を伝えると同時に新たにティルフット王統をも伝える存在で、彼女の誕生によりデーヴァラデーヴィーの権力の座はますます強化された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1348年、デーヴァラデーヴィーアネーカ・ラーマの協力でパタンを統治下に置くと、キルティプル、バランブーを制圧し、さらにバネパと協力関係を結んで、統治を安定化した。彼女の実権は王を無視するほど強固となった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1354年、相次ぐ反乱、内乱を持てあましたデーヴァラデーヴィーは、国内の豪族、有力者に対抗できる強力な人材を求めて、スティティ・マッラを招いた。バクタプル入りしたスティティ・マッラは1355年にラージャッラデーヴィーと結婚し、彼女の夫という立場で統治に関わり、デーヴァラデーヴィーの期待通り着々と権力を強めていった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2007-03-30 (金) 18:05:06 (5136d)