jyotirmalla (人名)

中世前期、前期マッラ王朝時代のスティティ・マッラ王の三王子の次男。

略歴

スティティ・マッラ王にはダルマ、ジョーティル、キールティの3人の王子がいた。王は存命中、長子ダルマを皇太子として扱っていたが、他の二王子も同等に遇していたため、王の没後皇太子ダルマが践祚(せんそ)する形をとらず、王子たちによる連立統治が行われた。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

この王子たちによる統治時代は1395年から1409年頃まで続いたが、さらにこの時期を三王子連膣統治時代(1395〜1403年)、ダルマ・マッラ王単独統治時代(1404年頃〜1407年頃)、ダルマ・マッラとジョーティル・マッラの連立統治時代(1408年頃〜1409年頃)の三段階に区分することができる。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

第一段階の三王子連立統治時代には皇太子王の称号を持つダルマを中心に三王子がバクタプル王宮にあって連膣統治をしていたことを示す記録が遺されている。

第二段階はダルマ・マッラ王の単独統治時代があったことを示す1404年制作の記録がある。

第三段階のダルマ・マッラとジョーティル・マッラの連立統治時代は1408年には確実に始まっている。その前年制作の碑文ではダルマは再び皇太子王のみの称号に格下げになっており、すでに王としての権威は失っていた。一方、ジョーティルはしだいに勢力を強めて、兄と連立政権を組むまでになった。二人の連立統治期間は短く、1409年にはジョーティルの単独統治が始まる。ジョーティル・マッラ王の単独統治在位期間は1409年頃〜1428年。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

王の功績

王は学芸の愛好者であったことはパシュパティ碑文に記されており、自身も学者であった。1412年に占星暦学書「シッディサーラ」を自ら著している。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

王は本来シヴァ派であり、パシュパティ寺院に頂塔を奉納して寺院を完成させた。またヴィシュヌ神にも帰依しており、王称とともにナーラーヤナ神にもたとえられている。さらに仏教をも保護したことも知られ、スワヤンブーの寺院、仏塔等も彼の治世に様式的に完成したとみられる。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2017-04-19 (水) 11:57:52 (123d)