jayasimharama (人名)

中世前期、前期マッラ王朝時代、バネバ出身の大豪族。マハータ

バネバの大豪族ジャヤシンハ・ラーマもバーを名乗るネワールの名門の出で、ラージャ・デーヴァ王アルジュナ・デーヴァ王、スティティ・マッラ王の三代にわたってマハータを務め、絶大な権力を誇った。当初はスティティに対抗し、のちに支持に回った。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

 強大な権力を誇っていたマハータアネーカ・ラーマの死後、彼の子ジャヤシンハ・ラーママハータを継承して絶大な権勢を保ち、彼の後見によってラージャ・デーヴァ王の子、アルジュナ・デーヴァ王の戴冠式が実現した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

マハータジャヤシンハ・ラーマはスティティ・マッラへの抵抗を続け、1372年に逮捕、監禁された。釈放後も彼は1374年にファルピンの豪族たちと組んでパタンで反乱を起こしたがスティティに敗れた。しかし依然として実力者の立場を保ち続けていた。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

アルジュナ・デーヴァ王没後はスティティ王の協力者となった。1385年にスティティ王がパシュパティ寺院で祭儀を行った際には彼が祭主を務め、その2年後のラート・マチェンドラナートの巡航祭には、欧、3人の王子とともに彼も同席した。強大なスティテイ王の力に抗しきれずに和解したと思われる。アルジュナ王の死によって対抗する大義名分がなくなったこともあろう。1392年にジャヤシンハ自身が写本させた「マハーバーラタ・シャリヤ章」の奥付文に「王冠をかぶるジャヤ・スティティ・マッラ王の治世に」と述べられ、王の傘下に入ったことを自ら認めている。彼との和解でスティティ王の立場はさらに強固となった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

ハリ・ハラ神への讃と565年の年代が記されたリッチャヴィ時代の神像台座銘文が パシュパティ寺院付近に所在するが、神像そのものはシャムスッディーン侵攻の際に破壊され、現存する四臂の直立像は14世紀のダルマ・マッラ治世にジャヤシンハ・ラーマが建立したものである。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)


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Last-modified: 2016-01-22 (金) 14:10:32 (1862d)