jayadeva(人名)

古代期、リッチャヴィ王朝時代の王。在位713年頃〜733年頃。

父王シヴァ・デーヴァ二世王の皇太子であった。。この時期リッチャヴィ王国はチベットの属国であった。

ジャヤ・デーヴァ王の布告文を飾る王称は祖父王、父王をしのぐほど尊大化し、「最高の王位にある者・大王の中の王・最高の王」とまで呼称している。リッチャヴィ王家のインドでの名声は高く、インド王家に重く見られていた。この王は自らを「他国を征服する者」と称し、「四方をことごとく治めたる王」と自賛しているが国土拡張の事実がないばかりか、現実はチベットの属国であった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

リッチャヴィ王統について述べられている根本史料としての銘文の一つにジャヤ・デーヴァ王が733年に制作したパシュパティ所在の銘文がある。この銘文にはこの王が「仏教の支持者」であったと記されているが王自身はヴィシュヌ派であった可能性が高い。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

詩人王と王宮文化

ジャヤ・デーヴァ王はパシュパティ神への信仰心が非常に篤く、母ともども銀製の八弁蓮華を奉納するとともに、34節から成る叙事詩を大石碑に刻んでパシュパティ神に捧げた。34節のうち5節は王自身の作であり、他の29節は王の師ブッダキールティの作である。この作品で極めて熟達したサンスクリット語が格調高く駆使されている点から、ブッダキールティ、ジャヤデーヴァ王が優れた詩人であることに加えて当時の学芸水準の高さを知ることができる。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

またジャヤ・デーヴァ王は学者、詩人等の人材を庇護していた。チベットの属国という閉塞感の中で詩人を中心に宮廷文化が華やかな爛熟の光彩を放っていた。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2016-01-22 (金) 21:14:42 (576d)