jagatprakasamalla (人名)

中世後期、三都マッラ王朝時代のバクタプルマッラ王朝時代の王。在位1643年〜1672年頃。父ナレーシャ・マッラ王の長子。また次王ジターミトラ・マッラ王の父。

ジャガットプラカーシャ・マッラ王は即位時に5歳にも満たなかった。28年間バクタプルを統治し、34歳で天然痘により死去し8人の王妃が殉死した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)

経過

即位時には5歳にも満たなかったのに対してカトマンズのプラターパ王、パタンのシッディナラシンハ王は共に極めて強力で、しかもこの両都は同盟関係にあった。この二王のはざまで幼い王を擁するバクタプルは対抗するだけの力はなく、父王以来カトマンズの影響下にあり、それなりに平穏を保った。しかしパタン王が野心的なシュリーニヴァーサ王に代わると、1661年にカトマンズと語らい二都の連合軍がバクタプルを襲撃した。この襲撃の際にもジャガットプラカーシャ王は反撃せずに城門を閉じて城塞に閉じこもったため、二都連合軍は入場できずに帰国した。

 パタンと和解したジャガットプラカーシャ王は、1666年に王子ウグラの剃髪式にパタン王を招いた際、接待に支障が生じてパタン王は激怒して帰国してしまった。この不仲に乗じてカトマンズバクタプルに近づき、二王はがデウパタン講和した。しかしその6か月後には、孤立したパタン王がバクタプル王と城外の大人工池で会見して講和を結んだため、カトマンズが孤立した。この講和も長続きせず、1667年にパタン王が再びカトマンズに近づいて講和を結んだ。孤立を恐れたジャガットプラカーシャ王は夜陰にパタンに駆けつけて、シュリーニヴァーサ王と夜を徹して話し合ったが、説得できずにバクタプルは孤立した。この機に乗じてカトマンズは1671年にバクタプル領のナラとその周辺を制圧した。ジャガットプラカーシャ王は王子ジターミトラ、ウグラの二人を連れてパタン王に庇護を求め、、今度はパタン王が受け入れたので孤立を恐れたカトマンズ王は、制圧した地域をバクタプルに返還した。逆にバクタプルはパタンと組んでカトマンズ領の一部を支配したが、カトマンズ軍の猛反撃にあって手痛く撃破され、1672年にバクタプル王は宰相ボーティヤー・バーの斬首を差し出し、象や財宝を贈って、敗北を認める条件でカトマンズと屈辱的な講和を強いられた。  このようにジャガットプラカーシャ王は、在位中戦闘と駆け引きに明け暮れ、屈辱さえ味わった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦)


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Last-modified: 2015-04-25 (土) 05:25:18 (2139d)