jagatjanga bahadura kuvara rana (人名)

近代期、ラナ専制時代、ジャンガ・バハドゥル・クンワル・ラナの長子。

三八年事件の際、ナレンドラ王子派はディールの配下でガガンシンハの孫ウッタルドワジ・ラージバンダリーを捲き込んでラノッディープ首相とディールの二人の殺害計画を立てた。この計画に参画したジャガット・ジャンガは当日、盆地にとどまっているのは不都合と判断してインドへ脱出した。しかしウッタルドワジが、ディールの兄バドリ・ナラシンハの夫人となった妹の助言でこの計画をディールに知らせたため、ディールはナレンドラ王子ら陰謀者を逮捕して、ナラヤンヒティに投獄した。インドに脱出したジャガット・ジャンガは首相の継承順位から削除され、帰国を禁止された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

ディールが没した翌1885年4月に、ラノッディープ首相・大王はインドからジャガット・ジャンガをネパールに呼び戻した。帰国後のジャガットは無位無官であったが、何の束縛もなく豪奢なマノハラ王宮に住み、自分の妻がスレンドラ国王の王女であり、王妃として嫁いだ妹たちが王宮内で影響力を発揮したので、次第に勢力を強めていった。ラノッディープ首相・大王は彼を養子に迎えて首相・大王の座を譲る意向を持ち、ジャガット自身も首相・大王になることを望んだため、ディールの17人の息子シャムシェル兄弟と対立が激化した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

四二年事件の際、マノハラ王宮で殺害された。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2015-04-21 (火) 06:38:22 (2138d)