Shamsu'd-din Iliyas (人名)

ベンガルのスルターン。在位1341〜1356(在位年代はバーブラームの記述に基づく。1345頃〜1357の記述もある。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1349年にカトマンズ盆地に侵攻し、565年にパシュパティに建立されたハリ・ハラ像を破壊した。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

1349年にベンガルのスルターン、シャムスッディーン・イリヤースが東方から盆地に侵入し、寺院、家屋を破壊、放火して財宝を奪い、ネパールは壊滅的な打撃を受けて、全土が灰燼に帰した。首都バクタプルが蹂躙され、チャングナラヤン寺院が破壊された。さらにパシュパティ寺院の本尊リンガが三片に割られた。スワヤンブーの仏塔が破壊され、その内部の金、銀、宝石が略奪された。カトマンズ、パタンも破壊された。イスラム軍は七日間の破壊、略奪ののち帰国した。その破壊の凄まじさは、パシュパティ寺院の本尊の修復が1360年にマハータジャヤシンハ・ラーマによって実現するまで、実に11年を要し、またスワヤンブー寺院の仏塔にいたっては、23年後の1372年にやっと再建されたことでもうかがえる。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

チャングナラヤン寺院の破壊は、ダナバジラは寺院前のマーナ・デーバ一世建立の戦勝記念石柱が折られていたことを検証し、シャムスッディーンによる破壊であると結論付けている。出典はネパール語論文33(ダナバジラ)p.6~7.11.(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

スワヤンブー仏塔の破壊は1372年制作のスワヤンブー寺院所在の碑文。破壊された仏塔をカトマンズパートララージャハルシャが再建した際の銘。出典は「史料的実証」(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

カトマンズ・パタンの破壊は1357年制作のパタンのピン・バハール大仏塔所在の碑文。ネパールの全部が破壊されたとの記述がある。出典は「史料的実証」。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2014-01-13 (月) 08:01:43 (2655d)