aditya malla (人名)

中世前期、カサ王国の王。2度王位についたと考えられる。第一期1299年頃、第二期1316年頃〜1328年。一旦即位した後、にチベットに逃れ出家したが、リブ王没後に再び王位に即いた。父はジターリ・マッラ王。子はカリャーナ・マッラ王子とシャクナマーラ王女。アーディティヤ王没後、子のカリャーナは王位を継がず、シャクナマーラ王女の夫、プニャ・マッラ(チベット名ソナム)が王位を継いだ。こうしてナーガ・ラージャ王統は終焉し、ゲーラー王統がカサ国を受け継いだ。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)

この王は国の内外に強大な力を示した。歴代の王たちが拡げてきた国土は、この王の時代にさらに拡大した。北方はプラーン、グゲまで、西方はクマウンガルワールまで、南方はタライ地方の西部から中部にかけて、それに北インドの一部、東方はこの王関連の銅刻文がゴルカのタグワイ僧院にあるので、少なくともトリシュリ(トリスリ)河西岸まで拡がり、大きな王国を形成するに至っていた。ネパール盆地へも二度侵攻した。 一度目は1321年、バクタプル王城(トリプラ)を破壊した。1328年、二度目の侵攻を行い盆地北西のヌワコート、南西のファルピンを制圧し三都に放火した。パタンでは22日間、塞を包囲したが陥とすことはできなかった。(出典:ネパール全史、佐伯和彦著)


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Last-modified: 2007-03-17 (土) 09:41:27 (4760d)